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タグ:ほらふき道場 ( 104 ) タグの人気記事

ほらふき道場ブログを開設しました。

ほらふき道場100回突破記念事業!

の、中身はこちら。
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by atohchie | 2013-10-17 16:08 | 缶詰製作中(書斎より)

【ほらふき道場】初めての方へ

事の起こりは、毎度お世話になりますPカンパニーの面々が、
無謀にも「コント公演」を打つと言いはじめた事だった。

【ほらふき道場】について読みますか?
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by atohchie | 2011-02-14 21:43 | 缶詰実験室(お芝居への道)

架空・お悩み相談室100『もしかして、文章ってアメちゃんですか?』

【お悩み】
阿藤 智恵さま おしえてください!!
もっと一文一文を練ってください!と先生からご指摘をいただきました。
…練って練って練ったら、こんがらがってわけわからんようになりました。
…もしかして、文章ってアメちゃんですか?
どうすれば、阿藤さんのように、綺麗な文章が紡げるのでしょうか?
よろしくお願いいたします。
「真面目」「ほら」両バージョン希望!(兵庫県/あめりさんのお悩み)

【お答え】
いつ、でも、どこ、でもない世界があった。
「ことば」に、「時間」のない世界であった。
この世界では、「お話」にも「時間」がなかった。

「お話」は、ちょうど飴玉のようなものだった。

砂糖と水を熱して、練って空気を含ませてから、いくらかずつわけて、味や香りをつけて、それらを組み合わせて、美しく、すてきに美味しく、不思議な驚きに満ちた飴玉はできあがる。
「お話」は「ことば」でできているのだから、実際に、「お話」をそうやって鍋で練って作るわけではないが、まあ、そのようにしてこの世界での「お話」は作られる。
甘い味、苦い味、すっとする味、涙が出る味、微笑みのもれる味、眉をしかめてしまう味、胸がきゅんとする味、お腹をかかえて笑いたくなる味、ぼんやりした味、なんとも言えない味、もっともっとと言いたくなる味、ほんわかした味、かっとなる味、ぺっと吐き出したくなる味、「お話」は、そんなたくさんの味のまぜこぜで、人は、ちょうど飴玉を味わう時のように、たくさんの味を少しずつ、舌でなめて味わってもいいし、口のなかで転がして、自然に混ざった味を楽しんでもいいし、いっぺんに噛み砕いていっぺんに味わってもいい。
「ことば」に「時間」のない世界では、「お話」はいっぺんに、全方向から味わえるものなのだ。

わたしたちの生きる世界は、「時間」に支配されている。
「ことば」には「時間」があるし、人は、一度にひとつの「ことば」しか味わうことができない。
だから、わたしたちの世界では、「お話」は飴玉というよりは、糸玉のようなものだ。
甘い糸、苦い糸、すっとする糸、涙が出る糸、微笑みのもれる糸、眉をしかめてしまう糸、胸がきゅんとする糸、お腹をかかえて笑いたくなる糸、ぼんやりした糸、なんとも言えない糸、もっともっとと言いたくなる糸、ほんわかした糸、かっとなる糸、ぷつんと切りたくなる糸、「お話」はそんなたくさんの糸のつなぎあわせで、人は、ちょうど糸玉をほぐす時のように、端っこから順序よく、糸をたぐっていかなくては「お話」を読むことはできない。ときどき、面倒になって糸の束を玉からはずしてしまうことがあったとすると、その束の中の糸が、どんな糸のつなぎあわせだったかを、その人は知らないままに終わってしまう。

だから、この世界では、「お話」は「飴玉を練るように」、よりは、「糸をつなぎ合わせるように」作られる。
ときどき、あの「時間」のない「ことば」の世界を少し知る人が、「お話は練るものだ」と語ることがあるけれど、実際にその人がしていることは、「時間」をもつ「ことば」を鍋に入れて、しっかりと練るような作業ではなくて(そんなことは、この世界ではできないことなのだ)、「ことば」の糸を丁寧にたぐって、こんがらがったところをほぐし、いっぺんにたくさんつながってしまったところはほどき、長くても、短くても、それぞれに特別な一本の糸になるようにつなぎなおし、それを、丁寧に二度とこんがらがらないように巻きなおす、そういう作業なのだ。

切れやすい絹糸や、熱に弱い化繊の糸、ふわふわした毛の糸を、大鍋に入れて火にかけて、ぐつぐつ練りまわすようなことをしたら、あなたは二度と、それらの糸をつなぎあわせて美しい糸玉をつくることはできない。

今度「文章は練りなさい」と言われたら、それは一種の比喩なのだということを、思い出すといい。
どこでもない、いつでもないあの世界でのやり方で、この世の「ことば」を扱うことは、できないのだ。
わたしたちは、「時間」を生きるいのちなのだから。
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by atohchie | 2003-04-01 07:00 | 缶詰製作中(書斎より)

架空・お悩み相談室99『かかとの減り具合』

【お悩み】
クツのかかとがいびつに減ります。歩くときのクセだと靴屋に言われました。
ふむ。してみると、ボクのかかとは裸足で歩いてるときにもいびつに減っているのですか?(鹿児島県/おいどんさんのお悩み)

【お答え】
モノは、何度も強くこすられたり、しょっちゅう力をかけられると摩耗しますが、生き物の皮膚は、逆に分厚くなります。いつも筆記具をつかって何か書いている人の手に「ペンだこ」を見たことはありませんか?かかとも同じです。いびつに減っている靴底の部分に当たるかかとは、よく見ると、おそらく硬くなっているはずです。皮膚が硬くなるのは「角質化」と言って、人の身体に備わった防御のしくみです。皮膚が摩耗して、穴があいてしまうと大変ですから、そこを硬く、分厚くして、身体の内部を守るのです。「角質」というのは文字通り、皮膚が硬化して、ちょうどサイの角のようになったものです。あなたはたぶんお若いので、かかとが角質化しているときいてもあまりピンとこないのでしょうが、周りにいるご高齢の方のかかとをいろいろ見せてもらってごらんなさい。生活のしかたによって差はありますが、多くの方のかかとが角質化しているはずです。
それにしても、「硬くなったかかと」と「サイの角」が同じだなんて、おかしいな、ずいぶん違うように見えるけど……そうお思いですか。しかし、人のかかとも、やり方によっては、サイの角のようにりっぱにとんがることができるのです。
今を去ること数百年前、まだヨーロッパにも秘境と呼ばれる険しい土地が残っていた時代のことです。南チロルの山岳地帯、きりたった岸壁にはばまれた場所に、誰も知らない小さな国がありました。周囲の村々との交流もなく、時に山岳地帯を越えてくる山賊や軍隊にも長らく発見されなかったこの村に、不思議な色の肌をした少数民族が住んでいたのです。あるとき、イタリア軍の一人の兵士が行軍中に奇妙な幻覚のようなものに悩まされ、足手まといを嫌った軍に置き去りにされました。彼、ジョヴァンニ・デル・カヴァッロ16歳は、何日も飲まず食わずの身体でさまよい歩いたあげく、どこをどう歩いたものか、この集落に迷いこみました。
ジョヴァンニ・デル・カヴァッロ16歳が、幻覚がさらに鮮やかな、手触りや匂いまである恐ろしいものに変わったと思いこみ、これはいよいよ狂い死にするのだと泣き出したのも無理はありません。美しい岸壁の下を行き交う人々は、うす紫色の肌をして、驚くほど長い足を優雅に動かし、ゆらゆらと歩いていたのです。人々は親切でした。泣きじゃくる彼をそっと抱きおこし、飲み物を与え、寝かしつけてやりました。
ジョヴァンニ・デル・カヴァッロ16歳は何日間も昏睡し、手厚い介抱を受けて、息を吹き返しました。
夢とうつつの間で、ジョヴァンニ・デル・カヴァッロ16歳も、人々が彼の幻覚ではないこと、現実の存在であることを少しずつ理解することができ、とうとうすっかり元気になった時には、片言ながら彼らの言葉を解し、不思議な彼らの姿を美しいものと思えるようになっておりました。
中でもジョヴァンニ・デル・カヴァッロ16歳の心を惹きつけたものは、彼らの足でした。驚くほど長い足、と見えたそれは、ちょうど現在のハイヒールをはいたようにつま先だった形で角のようなかかとにささえられた、それは美しいものだったのです。
まったく、彼らの足ときたら、どれほど美しかったことでしょう!
元気になったジョヴァンニ・デル・カヴァッロ16歳は、不思議なかかとについて、人々に訊ねました。人々の方は、べたべたと足裏をついてあるくしかないジョヴァンニ・デル・カヴァッロ16歳の丸っこいかかとを面白がりました。
「君はまるで赤ん坊のような足をしている」彼らは言いました。「わたしたちの国では、みな歩きだす前にかかとを強く、美しく整え始め、成人するころには皆、このように歩くようになります」
ジョヴァンニ・デル・カヴァッロ16歳は赤ん坊や少年少女たちが、どのようにかかとを育てるか、また美しい大人たちがどのようにかかとを手入れするかを見て歩きました。少年少女たちが、岸壁に咲くうす紫色の花の根で作った特別な液体をかかとにたらし、岸壁の中からとりだすうす紫のいしで作った特別な槌でかかとを鍛えるのも見ました。懇願して薬をもらい、槌をゆずりうけたジョヴァンニ・デル・カヴァッロ16歳は、ジョヴァンニ・デル・カヴァッロ22歳になるまで懸命の努力を続けましたが、ジョヴァンニ・デル・カヴァッロ22歳のかかとは、彼らのように美しい角と化すことはなく、ただ硬く、ひびわれていくだけでした。
そうしてジョヴァンニ・デル・カヴァッロ22歳は、ついにある日、美しいかかとを手に入れることを断念し、密かに抱いた恋心にも硬く硬く封印をして(なぜなら「赤ん坊のようなかかとの男」には、美しいその人に求婚する資格はなかったからです)、親切な人々に永遠の別れを告げて、国へと帰って行ったのです。
その後、おしゃれで名高いフランスの王が、かかとの高い靴をつくる珍しい職人を発見したいきさつは、現在まで明らかにされておりませんが、そこにジョヴァンニ・デル・カヴァッロの影が落ちていることは、恐らく疑いもないことと私には思われます。
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by atohchie | 2003-04-01 06:56 | 缶詰製作中(書斎より)

架空・お悩み相談室98『節目って何ですか』

【お悩み】
節目って何ですか。

単純に言うと、昨日と今日の違いなんです、分からないのは。いわゆる「節目の日」が昨日や明日とどう違うかなんです。

「本日、我が社は創立70周年を迎えました」と、いつもは休みになる創立記念日が記念行事をやるとかで休みにならないなんていうのが典型的な例です。いや、別に休みにならないからって恨んでるわけではありませんけどね。

その日と他の日に何か大きな違いがあるわけではないはずなんです。わが社の社員以外には、普段どおりの一日が過ぎていくんですから。
でも、あたかも特別な一日のように大騒ぎしたり、厳めしい式典をしたりすると、なぜかその日が特別みたいな気持ちになるから不思議です。

(愛しい人の命日なんて、明らかに昨日や明日とは違うとように感じると思います。でも、このあたりは喜寿とか米寿とかをお祝いするのと同じで、命に関わることですから、ちょっと横においておきます。)

つまり、節目の日ってなんですかってことです。十進法でなければ、70年目が節目の日にはならなかったかもしれません。なのに、70周年の今日は特別の日になってます。

この仕組みは一体どうなっているのでしょう。

(新潟県/えちごのいちごさんのお悩み)

【お答え】
トムは考えた。なんだって今日は、やたらと忙しく、働かされているんだろう。いつもならトムの水曜日は他の平日の曜日と同じように、のんびりと働いて、朝、少し忙しい時間帯があるほかはずっとゆったりしていて、急に慌ただしく働かされることなんかない。今日は水曜日のはずなのに、やたらと忙しい。いったいこれは、なんなんだろうか。

デイジーはしあわせだった。デイジーには嫌いな人がいっぱいいる。まず、見知らぬ赤の他人は絶対に好きになれないから、混んだ電車でぎゅーぎゅー詰めになる時なんか、死ぬんじゃないかと思うし、会社の上司にも一人、ものすごく苦手な人がいる。デスクから目を上げるとどうしても視界に入ってしまうアイツの顔を、どういうわけか今日は水曜日なのに見なくていいらしいし、混んだ電車にも乗っていない。素敵な顔をずっと見ている。

マックスは耐えていた。やれと言われたことを黙々とやる性分だから、さっきからそのとおりにしてはいる。けど今日は水曜日じゃなかったんだろうか。祝日でもなかったはずだ。それなのにいつものとおり駅に出かけないのはなぜだ。まったく知らない靴をはかされて、まったく知らない道を歩いている。この靴が窮屈でたまらない。隣を歩いているハイヒールがぶつかってくるのが気に入らない。

ベティは混乱していた。あたしはあんまり、不測の事態というのが好きじゃない。あんまり、というか、全然好きじゃない。水曜日はだいたいにおいて平和だから好きなのに、なんだかさっきから、予期していないことばっかりだ。心臓はばくばく言うし、目はとろんとろんするし、足は痛い。なんだか奇妙な化学物質が出ているようで、ぐるぐる回っているのが気持ち悪い。いったい今日はどうしたんだろう。

会社員のエス氏は、有給休暇をとった。1年前から付き合い始めた恋人との、今日は記念日なのだった。他の誰にとってもなんの変哲もない水曜日だが、二人にとっては大事な節目の日だ。エス氏ははりきって身支度を整え、素敵な街へ出かけたのだ。少しあたりをぶらついたあと、雰囲気の良いレストランを予約してある。今日こそ、彼女にプロポーズするつもりのエス氏は、胸の動悸を抑えることができずにいる。

エス氏の心臓であるトムは、やたらと忙しく、エス氏の瞳のベティはごきげんで、エス氏の足のマックスは痛みに耐えていて、脳のベティは混乱している。エス氏が勝手に決めた節目の日は、エス氏の身体たちにとっては何の意味もない。勝手によろこぶものがあれば、不満をおさえかねるものもあり、黙々と耐えるものがあれば、反乱をおこすものもいる。どちらかというとエス氏の身体は、急にやってきたこの節目の日を歓迎してはいないようだが、エス氏は文句なし、幸せである。

人にとって、身体の各部が思っていることは、なんでもないのと同様に、会社にとっても、会社員の一人ひとりが思っていることは、なんでもないことであります。人にとって人の命にかかわる節目の日が大切なように、会社にとっても、やはり会社の命にかかわる節目の日は大切なのです。節目の日に体の各部を休ませることと、節目の日にそれらを妙に働かせることは、どちらも、節目の日を大切にするという意味において、ひとしいことなのです。
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by atohchie | 2003-04-01 06:53 | 缶詰製作中(書斎より)

架空・お悩み相談室97『本当に開いた口がふさがらなくなってしまったら』

【お悩み】
最近、ちょっと衝撃的な出来事があって、あいた口がふさがらない!って叫んでしまったのですが、もしかして、そのまま本当に開いた口がふさがらなくなってしまったらどうしよう!!って恐怖におそわれてしまいました。

こちらに相談すれば、畏れ多い方々の有り難い教えとか、奥深い伝説なぞにまつわるまことしやかな言い伝えなどを教えていただけるという噂を聞きました。なにも怖がることはないよ、ってなお話を聞かせていただけませんか。(愛知県/金色のおさかなさんのお悩み)

【お答え】
あるところに、何があっても驚かないと評判の男がいた。あんまり物事に動じないので、いろんな人が男を驚かそうとしたが、男は畑に落とし穴ができていても驚かなかったし、寝床に蛇がとぐろを巻いていても落ち着いたもんだった。あんまり物事に動じないので、妖怪や天狗たちが男を驚かそうとしたが、男は空から星が落っこちてきても驚かなかったし、赤べこが金の獅子を生んでも落ち着いたもんだった。
そんなある日、男の娘が家で留守番をしていると、ちっちゃな汚い男の子どもがやってきて、「ひもじいよぅ、何かめぐんでおくれよぅ」と泣いた。娘は哀れに思って、「待っておいで、今、ご飯を炊いてあげましょう」と、川に水を汲みに行った。ちっちゃな汚い子どもはすぐと家に上がり、娘の着物をさっと身にまとうと、娘の姿に化けて、畑で働く男のところへ行った。
「父ちゃん、もうすぐご飯の支度ができますよ」
「おや、飯には少し早くはないかい?」
「そんなことはないわ、ほら、もうお日さまがあんなに」
指さされた方を見ると、たしかに、さっきまで高く輝いていたお日さまは、西の方に沈もうとしているではないか。
「おぉ、そうか。ではもう夕飯の時間だな」
いつものように落ち着きはらってそう言って、娘の方を振り向いて、男はどぎもを抜かれた。娘が男の目の前で、みるみる鬼にかわったのだ。頭には角がにょっきり生え、身体はもりもり大きくなって、着物がびりびりと引き裂かれ、娘はぐいぐい伸びた爪で男の方を指さしながら、それでも相変わらず愛らしい声で
「今夜のおかずは父ちゃんよ」とにやりと笑ったのだ。
「お、お、お前……」男は生まれて初めて驚いて、ほんとに驚いたので、大きな口をあんぐりあけた。
それを見た鬼は大喜び。手を打ってはしゃび、おうい、おういと声を張り上げた。
今まで男を驚かそうとしてきた妖怪たち、天狗たち、河童たち、タヌキにきつね、村人たちまで集まって、大口をあけたまんまの男をとりかこみ、男の背中をたたき、鬼の頓知をほめそやした。
人込みをかき分けて、駆けつけてきた娘は父ちゃんに抱きついて、
「父ちゃん、ごめんよ、鬼にすっかり騙された」と泣きだしたが、男は別に、怒っちゃいなかった。娘の頭を撫でて、にっこり笑おうとしたのだが、口があんぐりあいたままではそれもできない。皆はだんだん心配になって、天狗も、鬼も、男の口を閉めようとしてみたが、男の目から涙が流れるばかりでうまくいかない。
さすがの鬼も小さくなって、「ごめんよ、ごめんよ」とごにょごにょ言いだしたが、男は別に、怒っちゃいなかった。鬼の肩をたたき、にっこり笑おうとしたのだが、やはりできないので、娘の手を取り、人込みを離れて家に帰って行った。

男は今まであんまり驚いたことがなさすぎたので、開いた口の閉じ方がわからないのだろうと、村人たちは言った。村一番のものしりの年寄りが、男の家を訪ねて、口の閉じ方を指南したが、男の口は閉じなかった。隣り村の坊さんが、男の家を訪ねて、秘伝の経をよんだが、男の口は閉じなかった。山向こうの町の医者が、わざわざ馬車を仕立てて男の家を訪ねて、男の口を調べたが、男の口は閉じなかった。娘は毎晩こっそりと、泉の脇の祠へ出かけては、神さまにお願い申しあげた。7日目のあけがた、娘と男の枕元に泉の女神さまがお立ちになり、男はその教えの通り、村一番の力自慢を家に招くことにした。
村一番の力自慢は、片手を男の脳天に、片手を男の顎にかけて、えいやっと渾身の力を込めた。村人たちは男の頭が砕けるのではないかと恐れをなして、なむあみだぶつを唱えるもの、両の目を手でぎゅうっと覆うもの、悲鳴を上げて倒れるものもあったのだが、男は静かに座ったままで、涙の一滴も流さない。娘はかぼそい両手をもみしだきながら、じっと男の顔を見ておった。
力自慢の背中と言わず、額と言わず、大粒の汗がだらだらと流れ始めた時、男の顎がほんの少し、動き出した。ああ、ありがたや、とうとう口が閉じるらしいぞ。皆は息をつめて、男の顔を見守った。確かに、口は少しずつ、閉じている。だがどうだ、大口開いたその穴は、顎が閉じる分だけ少しずつ動いていって、ああ、なんと、ぎゅっと口が閉じた時、男の顔の真ん中に、大きな穴があいている。男の鼻はさかさまにめりこみ、両の目も半分は穴にかかってひんまがっている。村人たちはいっせいに、大きな口をあんぐりあけた。男はやっと動くようになった口でまずはにっこりほほ笑むと、力自慢にこう言った。
「ご苦労さん。しかしこう鼻がめり込んでいては息苦しい。この両の眼ではあんたの顔もよう見えん。お手数だが、もう一度、顎を開くから、ぐっと、この穴を押し上げてくれんか」
力自慢はびっくりしたが、こうなっては男の言うとおりにしてやるしかあるまい。もう一度大口開けた男の顎を、渾身の力でえいやっと押し上げた。穴はぐぐっと持ちあがり、額の上まであがっていった。男はにっこり微笑んで、
「あと一回」
と言った。へとへとになった力自慢は、もう一度同じことをしようとしたが、いかにも力が入らない。村人たちが加勢に入り、皆で男の顔の穴をぐぐっともう一つ、上へ持ちあげた。
今では穴は、男の頭の脳天に上がり、天に向かって大口をあいている。
男はにっこり笑って言った。
「これでよし。皆、どうもありがとう」
村人たちは口をあんぐりあけたまま、不思議な心もちで家に帰って行った。

それから男は何事もなかったように、畑に出て働き、夕暮れになると、娘の待つ家に帰る暮らしを続けていった。大きな穴は脳天に開いたままだったが、別にさし障りはないようであった。ときどき畑への行き帰りに、空から何かが落ちてきて、その穴に入ることがあったが、男はまったく驚かなかった。空から落ちてくるものは、鬼が島の珊瑚であったり、天狗の醸す酒であったり、河童の好きなきゅうりであったり、したそうだ。
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by atohchie | 2003-04-01 06:27 | 缶詰製作中(書斎より)

架空・お悩み相談室96『消された記憶はどこに?』

【お悩み】
お悩み相談です。

先日、小学校の友人たちに会いました。ボナセーラの好きだった人って誰だったの?と質問されたのですが、どうしても思い出せません。
絶体いたはずなのです。給食で好きだったものは何?と言われたのに、全部だったような気がして????
質問されて明確にあまりにも鮮やかな記憶がほとんどなのに、あちこち知らないことがあるのです。
友人たちは私に「太ったねぇ、でもさぁ妙にボナセーラは筋肉質だよねぇ、なんか鍛えてるの?小学校でも中学校でも走るのも飛ぶのも投げるのもなんでも全部一番だったよねぇ」と意味ありげにニヤニヤして言うのです。

その時、ふと自分の腕に浮いてる赤いバーコードを見て、はっと気が付きました。
このバーコード、そして真ん中のブッと膨れ上がった円形のマーク、妙にイラつくかゆさ。
これは何かの暗号に似ている!
”私はスパイだったのではないか、どこかの工作員ではなかったのか?記憶を植え付けられて、なんだかごちゃごちゃになってるのではないか?”
これは、植え付けられた記憶?消された記憶はどこに? (川崎市古市場/ボナセーラ・三重子さんのお悩み)


【お答え】
いけません。
またバーコードの謎にひっかかりましたね。
忘れたのですか。
あなたは、地中海の藻屑と消えた女、バーコードを読んではなりません。
それは、蚊に刺されたあとです。
キンカンなり、ムヒなりウナなり、お好みの薬を塗って、忘れてください。
忘れるのです。
小学校の時、あなたが好きだった人を思い出せないのは、辛い思い出を封印しただけのこと。
思い出さない方がいいのです。
給食で好きだった食べ物は、ええ、そうです、全部です!
決して決して、あなたは好き嫌いなんか、言わない良い子だったではありませんか!

今、世界のあちこちがどのように危険な匂いに満ちているか、あなたも気づいていないはずはありません。
あなたを守ると誓った、あの女エージェント、ブラッドだって、今はもう、あなたのそばにはいないかもしれないのです。
もしもそのことをお忘れならば、仕方がない。
今回だけは、ブラッドからの手紙がここに隠してあることを、あなたに思い出させて差し上げます。
ブラッドからの手紙はこちら。

どうかどうか、バーコードの解読法を思い出そうとなんてせずに、愛する家族と幸せに生きてください。
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by atohchie | 2003-04-01 06:21 | 缶詰製作中(書斎より)

架空・お悩み相談室95『間抜けな癖と八兵衛の謎』

【お悩み】
阿藤先生
私は、困ると鼻の下をぐっとこする癖があります。
そのため、大事な会議でここぞという説明を偉そうにするときに、鼻の下が真っ赤になっていることがあります。
先日、鏡のある会議室で写った自分の顔が間抜けの八兵衛のようで恥ずかしくて、偉そうに発言できなくなってしまいました。
無意識にやってしまうこの癖はどうしたらよいのでしょうか。
そもそも、なぜふと頭のなかに八兵衛という名前が浮かんできたのだろうかと、この1年悩んでます。(読売ランド駅前/ボナセーラ・三重子さんのお悩み)

【お答え】
「八兵衛」は、江戸落語でおなじみの、長屋に住む男の名前ですね。カッとしやすく、おっちょこちょいで、失敗だらけだけれど人情に厚く、憎めない、つまるところ、とても魅力的な男の二人組、「熊さん、八っつぁん」のコンビは、長らく日本人に愛されて参りました。「間抜け」という言葉に、自然と「八兵衛」がくっついて、頭のなかで「間抜けの八兵衛」となったのは、日本人としてはなんら不思議でないように思われます。しかし、どうもそれではなさそうな、どうにも気にかかる、そんな感じを覚えていらっしゃるのですね。あなたの心のなかに、「これは何かあるぞ」と注意信号が点滅し続けているのですね。
よくお気づきになりました。
一般の日本人なら、耳慣れた感のある「間抜けの八兵衛」のフレーズに、違和感を覚えることなど決してないはずでございますのに、さすが、「八平さま」の血脈のなせる技と言わざるをえません。わたくし、すっかり感じ入りました。

は!失礼しました。あなたさまにお声をかけていただいた感動のあまり、つい先走って、奇妙なことを申しました。ご説明を申し上げます。

むかしむかし、神代の昔のことでございます。この国は、八百万の神がひしめきあう、地球上でも有数の神密度の大変に高い土地でございました。むかしの神さまと申しますのはそれぞれに我が強いといいますか、個性的といいますか、共に暮らしてゆくことの、なかなかに難しい方々でございました。小さな島々に、それはたくさんの神さまがおわしますのです。それぞれの神さまに、おつれあいがあり、恋人があり、おつきの神があり、まかないの神、縫い子の神があり、友があり、相性の悪い相手があり、お好きな食べ物があり、お嫌いな方角があり、、、いやはや、あの時代、いかにして神々が小さな島を粉々にしてしまうほどの争いを避け、どうにかこうにかひしめきあって暮らしておられたのか、不思議には思われますまいか。

そうです。その不思議を、長い長い神代の時代、なしとげられたのは、あなたがその血を引く、「八平さま」ただお一神の、ご尽力のたまものであったのです。

「八平さま」と申しますのは、世にいうニックネームのようなものでございまして、ご本名はなんとおっしゃいますことか、わたくしどものような者の知らされるところではございません。
その由来は、「八方平らになるように」、あるいは、「八百万のなべて平らになるように」といつも唱えておられたという、「八平さま」の大いなる力によるものだそうでございます。
もはや「八平さま」への信仰も途絶えて久しいこんにち、かの神さまの御行いの具体的な様子は霞と消えて、もはやたどることはできません。ただ、「八平さま」の神通力は、その立派にたくわえられたおヒゲにあったということは、どうやら確かなようです。

「八平さま」は、おそろしく鋭い耳をお持ちでありました。また、鳥や獣、虫たちといった生き物たちを、時には木々やそよ風、小さな地下水の流れなども、しもべとして従えておられました。いったん神々が争いを起こされますと、そうした生き物たち、しずかな命たちは踏みにじられ、住処を追われてしまいます。彼らが島々の平和を守る「八平さま」にお仕え申したのは自然の理でもあったのでございましょう。ともかく、「八平さま」は、どのような小さな島におわしますときも、たくさんの島々の全ての神さまの動向を、よくご存知でいらっしゃったのです。
どこかで小競り合いがあったり、一触即発のにらみ合いがおこると、、「八平さま」はすぐとそれにお気づきになられます。どこで何をしておられようと、「八平さま」は争いの起きそうな気配を感じ取られるが早いか、急いで鼻の下のおヒゲをぐいとこすられたと言います。見事に生えそろったおヒゲは瞬時に舞い上がり、ひとつひとつが小さな「八平さま」となって、争いの地に飛んでいきます。小さな「八平さま」たちは、到着するや否や、眉をつりあげた女神様の耳のなかにそうっと息を吹き込んだり、地団太を踏む武神さまのおへそのなかで歌をうたったりしました。女神さまがきぃーっと叫ぶ代わりにほほほとお笑いになってしまったり、武神さまの地団太が下手くそなタップダンスになってしまったり、そのほかにも怒り狂った竜神さまが炎を噴き出す代わりにおならをもらしてしまったり、山をも動かす大巨神さまが、小さな「八平さま」を探して裸踊りを始めてしまったり、いやはや、小さな「八平さま」を送られたところ、間抜けで愉快な光景が繰り広げられない場所はひとつとしてなかったのであり、間抜けで愉快な光景のただなかで、争いを続けることは、どうにもこうにもできない相談だったのでございます。
何より間抜けで愉快な見ものは、豊かなおヒゲを皆、小さな「八平さま」にして飛ばしてしまわれた後の「八平さま」のお顔でありました。お鼻の下は真っ赤になり、「八平さま」はお目を真っ赤にして、しきりにくしゃみをなさいます。そのくしゃみの声の、「くちゅん」と愛らしいこと、かわいらしいこと、争いを注進に来る小さな生き物たちは、先ほどまでの心配顔はどこへやら、皆腹をかかえて笑いころげ、悩みも忘れて晴れ晴れとしてしまうのでした。
「八平さま」のおヒゲは不思議なことに、くしゃみを一つなさるたびにどんどん生えて見事に揃い、「八平さま」の間抜けで愉快な顔は、その場にいるものしか拝むことができなかったのでありまして、もしかすると生き物たちが「八平さま」にお仕え申したのは、自らの暮らしを守るため以上に、あの「八平さま」のお顔を拝したい一心であったかもしれません。

あなたさまの、この世にお生まれになったわけ、「間抜けの八兵衛」の謎が、おわかりになりましたでしょうか。どうぞ現代の「八平さま」として、お身の周りの争いを鎮め、皆を笑わせることで、「八平さま」の願いを叶えられます事を、衷心よりお祈り申し上げるものでございます。
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by atohchie | 2003-04-01 06:19 | 缶詰製作中(書斎より)

架空・お悩み相談室94『電車内での化粧は人類の進化なのかしら?』

【お悩み】
知ってる?電車の中で人目をはばからず化粧したりしてる若い人がいるでしょ?あれって周りの人たちを自分ちの本棚や机みたいに考えているからできるんだって。こういうのって、ある意味すごい能力なんじゃない?はしたないなんて嘆いてないで、人類の進化を喜ぶべきなのかしらって悩んでいるの。(京都府/魔法使いのサリーさんのお悩み)

【お答え】
そうね、確かにそういう説には一理あるわね。でも私は、電車のなかでのお化粧については、一味違う学説を支持してるのよ。ちょっと哲学っぽくてややこしい話になるかもしれないけど、きいてくれる?

電車内でのお化粧行動が、周りの人の心を悩ませるのは、それが人間の自意識を根本から揺るがす大変な光景だからだっていう、説なのよ。

人にとって、「自分」っていうものを意識するのは基本的に、かなり厄介なことなのね。
だから、古来から「自分とは何か」ってことは、いつも哲学者たちの議論の的でした。
ここでは、単純に、次のような視点で、ややこしく整理してみましょう。

人間の「自意識」には二種類あります。
ひとつは、「能動的自我」(~~するワタシ、主体としての自我)。
もう一つが、「受動的自我」(~~されるワタシ、対象としての自我)。

たいてい、人は「~~するワタシ」に力点を置いて生きてるけど、誰かに足を踏まれたり、猛獣に出くわしたり、大好きな人に抱っこしてもらったり、そういう、「~~されるワタシ」を強く意識することも、あるわけなのね。
そして、一方に意識がいっている時、もう一方への意識は弱くなる。

本当は、人は常にその両方のワタシを生きているわけなのだけど、両方を意識するのは、とっても人間にとって不自然なことなので、そんなことはあんまりできないのが、普通なの。

ためしに、自分で自分の身体にさわってみましょうか。
手で、膝こぞうをさわってみて、それから、そうね、ほっぺたをさわってみて、両方の自分を感じてみて。
たぶん、足をさわった時と、ほっぺたをさわった時では、その二人(?)のワタシの感じられ方は、全然違ったはずよ。膝こぞうは「さわるワタシ」、ほっぺたは「さわられるワタシ」が優勢だったのじゃないかしら?
つまり、膝よりは手のひらの方が、より「ワタシ」であり、しかし手のひらよりももっと、ほっぺたの方がより「ワタシ」らしい、ということが、この簡単な実験でわかるわね。「ワタシ」を捕えることのむずかしさと面白さを、少し感じてもらえたかしら?

それでは、人が、鏡にうつった自分に見入っている状態を、二人のワタシという観点で見ると、どういうことがおこっているのでしょうか。

実際に自分以外の何かから何かを「されて」いたり、何かに何かをを「して」いる時(主体と対象が別々のとき)に比べて、また、自分で自分の身体に何か「し」たり「され」たりしているとき(主体と対象が両方とも自分のとき)に比べて、事態は複雑よね。
そこには本当に、「二人のワタシ」が存在しているけれど、それは見かけ上のことで、ワタシはあくまでも、一人。だからとってもややこしい。
鏡のなかのワタシは、こちら側のワタシに「見られ」ている。けれども、同時に、鏡のなかのワタシが、こちら側のワタシを「見て」いるとも言える。二人のワタシが鏡のなかでぐるぐる役割を交代しながら、永遠に終わらないロンドを踊る。
そのややこしさが、人々を畏れさせてきた。魔女にとって、鏡が大事な秘密を宿す存在なのは、サリーちゃんにはきっとわかっているでしょう。鏡は神さまとも思われてきたし、権力の象徴にもなった。ごく最近まで、家庭内の鏡は、つかわないときには覆いをかけられていた。鏡や、水鏡にまつわる神話や、恐ろしい物語を、誰でもいくつか知っている。鏡は元来、不思議で、怖いものでした。

鏡のなかの自分を見つめながら、お化粧している人自身の自意識は、それではどうなっているでしょうか。
サリーちゃんもお化粧をするならわかると思うけれど、そのとき、きっとその人の意識は、「見るワタシ」に偏っているはずよ。お化粧をしている人の「見られるワタシ」はそのとき消えていて、「見るワタシ」だけがそこにいる。

ところが、お化粧をするということは、「見られるワタシ」を美しく整えることであって、その「見られるワタシ」が消滅していることは、とっても不気味なことよね。何もない、虚無を、その人は「見」ていて、それを対象として、何か「するワタシ」になっている。
けれども、外から見ると、虚無を見ているその人は、外から「見られ」ている。
本人のなかには存在しない「見られるワタシ」がそこにいる。まるで、亡霊のように空虚なままで。

このごろ、電車のなかで、「人目をはばからず」お化粧をする人がたくさんあるのは、人前で、「見られるワタシ」が消滅するような機会が、たくさんあるからなんじゃないのかしらね。たくさんの人にいつもとり囲まれてしまう都会で暮らすのは、「見られるワタシ」にとってはとても辛いことでしょ。「誰もワタシを見ていない」と信じることで、「見られるワタシ」を消滅させ、透明な自分が、ただ「見る」一方のワタシとしてそこにいる、それが現代の都市生活を生きる人々のあり方。
あら? でも、「誰もワタシを見ていない」なら、お化粧なんか、しなくていいはずなのに、おかしいわよね。だから、「誰もワタシを見ていない」っていうのは本当に信じていることじゃなくて、危険から身を守るための、ある種の呪文であることが、そこから推察されるのです。
人前で、呪文を使う人は、怖い。皆が怖がるのも無理はない。今たしかにそこにいるのに、「誰もワタシを見ていない」って、目の前から消えてしまうんだもの。目の前で、人が透明人間になってしまうのだもの。この不気味さが、周囲の人の自意識を乱し、心に不安を生じさせるから、人前で鏡に見入ることは、いけないことなのよ。

それで、そういう「消滅したワタシ」のする、電車内でのお化粧が、はたして人類の進化かどうか?ってことなんだけれど、これはもう、その人の考え方次第ね。人が、透明にならなければ生きていけない都市生活が、人類の進化の結果なら、人前でのお化粧も、当然進化だってことになるし、その逆もまたありうるわけだから。

サリーちゃんは、どう思いますか?
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by atohchie | 2003-04-01 06:16 | 缶詰製作中(書斎より)

架空・お悩み相談室93『耳たぶより耳ぶたが欲しいのですが』

【お悩み】
この季節、シャワーを浴びたり、たらいの湯を頭から浴びる機会が増えました。そんな折り、耳に入った水が出にくく困っています。思えば、太古の昔から草原を歩いていたら突然横なぶりの激しい雨が降って来て、耳にも容赦なく入ってくるようなことはあったであろうと思われますが、耳たぶをきゅっと動かすと、耳に蓋が出来るような防水仕様になっていないのが不思議に思えて来ました。ひょっとして、ヒトの耳にはそのような機能があるのに私が使い方をマスターしていないだけでしょうか?もし耳に蓋ができるようになっていれば、丑三つ時に突如響くバイクや車の轟音や蝉の断末魔の声など、最初の音を聞いた瞬間に蓋が働き、熟睡は邪魔される事なく続くのではと思われます。
このように、耳蓋にはいい事ばかりとおもわれるのに、私の耳には蓋ではなくたぶしかないのは進化の過程での不具合かなにかでざいましょうか?(兵庫県/ATPさんのお悩み)

【お答え】
ご指摘をうけて初めて気づきました。
確かに、耳たぶはあっても耳ぶたのない、目ぶたはあっても耳ぶたのない、人体の不思議!
こんな危ない箇所に穴があるのに、それを閉じる蓋がないのはこれいかに?
ところがです。
ふた……ふた……と呟きながら、わが耳を仔細に調べておりましたらば、何やら、ちょうどよい大きさ、形のものが、穴のすぐ前に、でっぱっているではありませんか。
ためしにちょいとそいつを押してみますと、うまい具合に耳穴の蓋になります。
これはなんだ?
調べてみますと、これは「耳珠(じじゅ)」と呼ばれるもので、その機能はやはり、耳のなかに雨水や汗などがはいらないようにするもの、ということになっているではありませんか!
なんと、私たちの耳にはやはり、耳ぶたが備わっておりました!
しかし問題は、なぜ、私たちがこの耳珠を、自在に動かせないかということです。少なくとも私の耳珠は、指でぎゅっとおさえつけなければ、シャワーの水が耳に入ることを防ぐ役割を果たしそうにもありません。もしや、これは本来、動くものであったのに、その機能が退化してしまっているのではないか?と思い、おととい、昨日と夜も寝ないで、精神を集中し、動かしてみようと試みましたがどうにも希望の片鱗さえ見出すことができません。ついにはへとへとになり、うとうととまどろんでしまった今朝のあけがた、こんな夢を見ました。

その昔、生き物といえば、水のなかに暮らすものだけしか作られていなかった頃、神さまが水に棲むものたちを集めて言われた。「こんど、水の外で暮らすものを、作ろうと思うのだがね……」水に棲むものたちはいっせいにどよめいた。「水の外ですって!大変だ、きっと『空』に溺れてしまう!神さま、そのものたちは生きられません!」神さまは穏やかに微笑み、おっしゃった。「新しい生き物たちは、身体のなかに水をもち、『空」を呼吸して生きるのだよ」「『空』を呼吸する!?」水に棲むものたちは驚き、水面から飛び出してくるりくるりと宙返りするものもあった。

神さまは、『空』を呼吸し、水の外で生きるしくみを皆に教え、皆はただ、感嘆して黙り込んだ。

「神さま、それではそのものたちの目には、蓋をつけてやってください」小さな声が言った。見ると、小さな蒼い海老が、大きな灰色の魚の腹びれの間から、けんめいにヒゲを振っている。神さまは、微笑まれた。小さな蒼い海老は精いっぱいの大きな声を出して――といってもその声は、大きな灰色の魚がゆったりと水を呼吸する音に隠れて、他のものたちにはほとんど聞こえなかったのだけれど、神さまにはどのいきものの、どの声だって、じゅうぶんにはっきりと聞き取れるのだったから、このように、聞こえたのだ――「私たち水に棲むものの目には、蓋がありません。けど、水の外で暮らすことを思ったら、目が痛くてたまらなくなりました。どうか神さま、そのものたちには、目に蓋をつけてやってください」神さまは、さらに大きく微笑まれた。これからうまれるものたちの、しあわせを願って心をくだいている小さな海老を、いとおしく思われたのだ。神さまは頷かれた。「そう、いいことを教えてくれた。きっとそのとおりにしよう」そして、まぶたの仕組みを、作られた。

大きな灰色の魚が大きな声で言った。「それでは鼻ぶたはいかがですか」
灰色の魚は、覚えたばかりの「鼻」という言葉を、少し恥ずかしそうに口に出して、その後で誇らしげに身体をそらした。小さな蒼い海老は、まきおこった水流に流されまいと、腹びれにしがみついた。「鼻ぶたはいらない!」桃色の美しい蟹が言った。「呼吸はいっときでも止めちゃいけないのにさ。鼻ぶたなんか、なんにつかうんだい」虹色の鮮やかなほっそりした魚が言った。「私たちが『空』にとびあがるときのように、そのものたちも水に飛び込むことがあるのでは?」水に棲む生き物たちは、新しい生き物が、水に入ってくることを思い、口々にいろんなことを話しだした。神さまには、その全てがはっきりと、ききとれたのだ。神さまはおっしゃった。「ありがとう、みんな。いいことを教えてくれた。鼻にはふたをつけず、その代わり、必要とあらば、『手』でつまめるようにしよう」そして、そのような仕組みを、作られた。皆は『手』で『鼻』をつまむ、ということを想像しようとして、さまざまに身をくねらせた。

誰かが思いついて言った。「耳ぶたは、いりませんか?」皆は今度はいっせいに、耳ぶたの必要性について、論じ始めた。「耳も、手でつまめばいい!」「神さまがおっしゃっただろう、手は、二本きりしかないんだよ。一本の手で鼻をつまんで、一本の手で、両方の耳をつまむことなんか、できないだろう!」神さまは、高らかにお笑いになり、「そのとおりだ。耳ぶたは、こしらえるとしよう」とおっしゃった。そして、神さまは、耳ぶたの形をお決めになり、それを動かす仕組みを考えはじめられた。

その時きゅうに、まっ白な海蛇が神さまの手にからみつくようにしながら、「神さま、耳たぶはいかがですか?」と言った。皆は「耳たぶ」という言葉にはっとして神さまをそっと見上げた。神さまは不思議そうに白い蛇を手にすくい取られ、「耳たぶとは、どのようなものかな」とおっしゃられた。白い蛇は、神さまとお話しする喜びに、うっすら紅に染まりながら言った。「わかりません。でもきっと、すてきなものだと思います。やわらかくて、すべすべして、誰でもつまみたくなるような、そういうものです。きっと新しい生き物は、耳たぶを大好きになって、すてきな飾り物をつけることでしょう」神さまは、愛らしい思いつきを尊ばれ、耳たぶを作ることを約束された。

人間の耳に蓋がとりつけられたのに、動かす仕組みがいまだ備わっていないのは、そういうわけだ。
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by atohchie | 2003-04-01 06:12 | 缶詰製作中(書斎より)


阿藤智恵の「気分は缶詰」日記/劇作家・演出家・翻訳家(執筆中は自主的に「缶詰」になります)=阿藤智恵の日記です。


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●受賞しました。
d0024220_16184139.jpg
加藤健一事務所vol.83 「シュぺリオール・ドーナツ」
念願の翻訳デビュー、果たしました!
emoticon-0166-cake.gif→本作品で、第5回小田島雄志・翻訳戯曲賞をいただきました。加藤健一さん、演出の大杉祐さんはじめ公演座組の皆さん、また、翻訳作業にお力添えを下さった多くの方々に、心から感謝します。

●戯曲『死んだ女』が雑誌【テアトロ】2013年1月号に掲載されました。テアトロ1月号

★『どこまでも続く空のむこうに』の劇評をいただきました!!大変な力作です。ぜひご一読ください。2012.4.19
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●戯曲『どこまでも続く空のむこうに』が雑誌【テアトロ】2012年4月号に掲載されました。
テアトロ4月号



●小説『マチゾウ』で同人誌【突き抜け4】に参加しました。
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★『曼珠沙華』の劇評をいただきました!!

ぜひご一読ください。2011.10.26
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●公演終了しました。

Pカンパニー番外公演その弐「岸田國士的なるものをめぐって~3人の作家による新作短編集~」竹本譲さん、石原燃さんと、短編を1本ずつ書きました。私の作品タイトルは『曼珠沙華』です。
★雑誌『テアトロ』10月号に三本そろって掲載されています。
テアトロ10月号

●連載エッセイ「本日も行ったり来たり~トハナニカ日記~」
雑誌【テアトロ】2012年1月号に最終回が掲載されています。
テアトロ1月号

●日記のお題、ください!
阿藤への質問、お悩み相談、どのようなことでもどうぞ。心こめて書かせていただきます。
お題は阿藤へのメール、または、日記へのコメント(どの記事につけてくださってもOKです)でどうぞ。



●戯曲『十六夜の月』が雑誌【テアトロ】2011年7月号に掲載されました。
テアトロ7月号

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●戯曲『バス停のカモメ』が雑誌【テアトロ】2010年1月号に掲載されました。
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●石井ゆかりさんの
「石井NP日記」で
インタビューを受けました。
こちらの
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で5番目にインタビューされています。

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