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架空・お悩み相談室65『靴下が片方だけなくなるのは何故?』

【お悩み】
洗濯するたびに靴下が片方だけなくなるのは何故ですか?
右のも左のも一緒に脱いだはずなのに。
絶対おかしいです!(宮崎県/よだきいさんのお悩み)

【お答え】
世の中には、二種類の人間がいます。
洗濯するたびに靴下の片方がなくなる人と、そうならない人です。
一般に、前者は「ずぼら」「だらしない」などと言われ、
後者は「几帳面」「きちんとしている」と言われます。
しかし、靴下が片方なくなるかどうかは、履く人の性格によるのではありません。
体質です。より正確には、足質です。
人は自分の身体を全部自分だと思っていますが
それはかなりおおざっぱで、乱暴なものの考え方です。
人はそう思っていても、身体の方ではいろんな考えを持っています。
靴下の片方をなくす人は、独立心旺盛な足質の人です。
独立心旺盛というのは、独立独歩と言い換えてもよろしい。
右足と、左足が、それぞれに独自の考えを持って暮しているのです。
ふだん歩いている時は、そうした人の足も、協力し合って動いているように見えますから
いかにも気があって、仲よしで、一体感があると思われがちですが
それは結果論に過ぎません。
靴下を片方なくす人の右足をと左足は、いつも独立独歩なのです。
たまたま行きたい方向が一致した時に、彼または彼女は歩けるのです。
人は、たとえば寒い季節にこたつに入っていて、
トイレに行きたいのになんだか立ち上がる気がしないというとき、
人のものぐさにその原因を求めますが
そうではありません。右足と左足の不調和が真の原因なのです。
そんな右足と左足が、その独立心をもっとも盛大に発揮する時こそ、
靴下を脱ぐときです。
一緒に脱いだはず、ですって?
そんなはずはありません。
あなたは決して、独立心旺盛な右足と左足の靴下を、同時に脱ぐことはできません。
もしもあなたが、靴下をなくさない人にめぐりあい、親しい仲になれたならば
――もっとも、人の足質は結果的に人の性格に大きな影響を及ぼすため
足質の違う人とはだいたいが、めぐり合うことすら難しいのです。
統計によれば独立独歩足の持ち主が、調和的足の持ち主と友だちになれる確率は
0.01%と言われており、ましてやその二人が旅館の同室に泊まったり、
一緒に銭湯に行ける仲になれる確率は天文学的に低いと言わざるをえませんが――
ぜがひでも靴下を脱ぐところを見せてもらってごらんなさい。
左右の靴下を一緒に脱ぐということは、こういうことであったのかと、
天地が震えるほどの感銘を受けることは間違いありません。
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by atohchie | 2003-04-01 02:01 | 缶詰製作中(書斎より)

架空・お悩み相談室63『ふとんの間違った側から起きた時は?』

【お悩み】
あれはメアリーポピンズだったと思うのですが、朝起きるときに「ベッドの反対側」から起きたらいろいろ間違ったことが起こるって言うじゃないですか。あれって、もちろん我が国古来の畳にお布団という生活様式にも適応される普遍の法則ですよね?

それで質問なんですが、朝、あ~これは間違った側から起きてしまったな、って自覚したときに、急いでお布団に戻り、しばしうたたねして(それが無理ならタヌキ寝入りして)、やおら起き出せば、「間違ってない側」から起き直すことってできますか?(大阪府/マイケルさんのお悩み)

【お答え】
ええ、もちろんあてはまります。
畳にお布団の場合に、「間違った側から起きると朝からうまくいかない」という言い伝えがないのは、お布団民族特有の気質によるものです。お布団民族は、そんな、本人にはどうしようもない辛いことでも、お布団のせいにしてはいけない、それはお前の気構えが悪いからなのだ、何を勝手にむしゃくしゃしているのだ、ほれ、八つ当たりしていないでさっさと自分で機嫌を直しなさい、と、かような無理難題を押しつけたがる民族です。しかしあなたがお考えの通り、そもそもの原因を正さずに、機嫌だけを直そうとするのは間違っています。機嫌とは自らの意志で傾けたり正したりできるものではないのです。そもそもの原因を朝、起きだす側という根本的な問題に求め、ちっぽけな人間の自力ではなく、おおいなる存在の力に頼ることこそ、正しい道です。
あなたのお考えは、そこまでは大変に正しい、立派なものです。また、お布団に戻り、起き直しをすることができるはずというお考えもよろしい。お布団民族として暮しながら、その境地に自ら至ったこと誠にあっぱれです。
しかし、あなたのお考えの中に、どこか、小細工めいた匂いが漂うこと、これはいささか嘆かわしいことと言わざるをえません。
よろしいですか。
問題は、お布団のどちら側から起きたかなのです。それだけなのです。眠っている状態を形だけ再現したりなどして、間違った側から起きたことをなかったことにしようと胡麻化す必要などみじんもございません。
堂々と布団に戻り、ただ純粋に、正しい側から起き直してください。そのとき、全てを多いなる力にゆだねることが肝要です。自ら機嫌を直そうだとか、朝起きてからそれまでにやっちまった失敗がなかったことになりますようにだとか、余計なことを考えてはなりません。
無です。
必要なのは、ただ、無です。
無のこころで布団に再度横たわった時、そもそも睡眠不足だったあなたが、果てしれぬ眠りの底へと引きずり込まれてしまったからと言って、それはあなたの所為ではありません。どうか安らかな寝起きを迎えられますよう、お祈り申し上げます。
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by atohchie | 2003-04-01 01:59 | 缶詰製作中(書斎より)

架空・お悩み相談室62『自分の部屋から脱出できない』

【お悩み】
実は、毎朝自分の部屋から脱出するのにも苦労しています。服はどこだメガネはどこだ鍵はどこだどうすれば荷物の中から朝ご飯を取り出せるか等々…暗号がない分ゲームより難易度も高いし時間がない分忘れ物などのバッドエンドは地獄です。これにも攻略サイトがあればいいのですが…ご存知ありませんか?(東京/こけまるさんのお悩み)

【お答え】
存じておりますとも。
攻略サイトは、ございます。

しかし、その説明を始める前に、理解しておいていただきたいことがあります。
およそこの世にあるものはすべからく、層をなしております。
同じ一つの現象、同じ一つのものであっても、どの層で見るかによって、様々な見え方がなされます。

少し乱暴なたとえ話のようなことになりますが、あなたという一人の人が、こけまるさんであり、地球人であり、ホモ・サピエンスのモンゴロイドのメスであり、東京の生活者であり、21世紀人であり、誰かにとっては友人であり、誰かにとっては恩人であり、誰かにとっては血縁であり、誰かにとっては赤の他人であり……果てしなく様々なとらえ方をすることができるように、あらゆるもの、あらゆる現象に、無数の層があります。
あらゆる見方、とらえ方はどれが正しいということはなく全て等しく真実です。ただ、こけまるさんがホモ・サピエンスのモンゴロイドのメスであるかどうかが問題になる局面は、こけまるさんがこけまるさんであるかどうかが問題になる局面に比べて非常にまれであるため、こけまるさんが「ワタクシはホモ・サピエンスのモンゴロイドのメスです」と名乗ったり、誰かに「ホモ・サピエンスのモンゴロイドのメスさん」と呼びかけられたりすることが滅多にないだけのことです。

この世のすべてはあらかじめ定められている、人の意志や偶然にしか見えない巡り合わせの隅々まで、という言い方と、未来はまったくの白紙なのだ、一人ひとりが未開拓の未来を一歩一歩、切り開いていくのだという言い方は、実は、この<層>の違いによってもたらされる見え方の違いであって、すなわち、どちらが正しいということはなく等しく真実です。

ここまでのご理解、よろしいでしょうか?

そうした<層>のひとつに、この世のすべては別次元の存在が行っているゲームである、というものがあります。これは、真実です。あなたは、この<層>にたって物事を見ることを望みさえすれば、ご自分が誰かがプレイしているゲームの中の登場人物であるということを真実とすることができ、したがって、攻略サイトは存在するということを真実とすることができ、そして当然の帰結として、攻略サイトを見ることができるのはゲームのプレイヤーであって、ゲームの中の登場人物ではないという結論をも真実とすることになります。

すなわち、あなたが攻略サイトを求める限り、あなたは攻略サイトを参照することはできません。
脱出ゲームの主人公として、正しく毎日の苦難に打ち勝ってください。
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by atohchie | 2003-04-01 01:55 | 缶詰製作中(書斎より)

架空・お悩み相談室55『まんぽけいとほすうけい』

【お悩み】
このまえ、仲良しのA子ちゃんと長~いお散歩をしたの。ずっとおしやべりしながら一緒に歩いたのに、私の「まんぽけい」と、A子ちゃんの「ほすうけい」では、歩いた数が三千も違っていたの。A子ちゃんの機械はちょっと大きくてステキだったんだけど、私の機械だって、ちゃんと時計になったり歩いた時間が分かったりするステキなものなのよ。ずっと自分の「まんぽけい」で歩いた数が計れてると思っていたのに違うのかしら?それとも一緒に歩いたみたいなんだけどA子ちゃんは頑張ってうんと足を地面についたのかしら。教えてください。(大阪/S子ちゃんのお悩み)

【おこたえ】
「時」とはなんだろう、と考えてみたことがありますか?
あなたは、「時」をおそらく、「時計」で知るでしょう。
「時計」は、いつごろ発明されたものか、「時計」が生まれる前、にんげんにとって、「時」とはどのようなものだったのか、「時計」が「時」をはかることになったのは、なぜだか、考えてみたことがありますか?
「時」について考えることはとても楽しいことなので、ここでは、ヒントだけを言います。

「時」を「時計」ではかるようになったのは、人が、人や、馬や、ロバや、らくだや、犬や、象の「足」で移動するのをやめて、「鉄道」で動くようになったときからです。

「時計」は、つまり、「時」を知らせるものではなくて、「汽車の出発時間」を知らせるためのものなのです。
現代の人は、それを忘れて、「時計」を「時」とすっかり混同しています。
でも、本当は、いいですか、人にとって、「時」とは、「歩数」なのです。
で、もっと本当のことを言うと、「時」が「歩数」なのは、人にとってだけの話であって、本当は、「時」自身にとっては、「時」は、「時」そのものなのです。たとえば水が流れるように、霧がわきでるように、雷が空を裂くように、「時」は変幻自在に形を変え、わきあがり、渦を巻き、凍りつき、噴き出し、吸い込まれ、たゆたい、淀み、しながら、そこらじゅうを漂っているだけのものです。
「時」は、面倒くさがり屋なうえに内気なので、そのような奔放な姿は、めったに人の前には見せません。
しかし、人が「時」を「歩数」ではかるようになったのは、実はその方法が一番、「時」の正体を見破るのに適しているからです。それは星の動きや、水の滴りや、草の伸びる早さなど、太古の昔から試されてきたいろいろの方法に比べ、もっとも、「時」そのものの実態に迫れる、方法だったのです。つまり、歩数計または万歩計とは本来、「時」の正体を見抜くための、道具だったのです。
そこで、あなたがた二人の場合です。
たいていの場合、仲よしというものは、「時」を共にするものであるということは、どなたもご存知の通りの真実です。「時」を共にするというのは、「歩数が同じである」ということに、ほぼ等しいと考えればよろしい。
ところが、ごくたまに、うんと長い「時」を共に歩いた時、「時」を共にしたはずなのに、「歩数」が大きくずれるという、不思議な現象が起こります。当然そのたびに、足の長さの差ではないか、歩数の数え間違いではないか、という至極もっともな検証がほどこされ、学者たちの論争がまきおこり、古代ギリシャの昔から近代に至るまで、数限りない説が出され、時には戦争を巻き起こし、時にはロマンスの種となり、さまざまなエピソードを生んできました。
この論争に決着がついたのは、19世紀末、アムステルダム近郊の小さな村で、フランス人の少女ソフィアと、オランダ人の少女アンナという仲よし二人組が、夏休みの自由研究に「時と歩数」というレポートを書くことを決め、ヨーロッパの長い夏休みの間、毎日朝6時から夕方6時まで、二人声を合わせて歩数を数えながら村の中をぐるぐると歩きまわり、ほとんどの村人がそこここで二人の声を聞いており、二人がフランス語とオランダ語という違いはありながら、いつも必ず同じ数を数えていたと誰もが証言したにもかかわらず、夕方6時の鐘が鳴りだすときには、多い時で3万、少なくとも2500の数の差が二人の間に生じていたという驚くべき事象が起こった時のことでした。二人のレポートは「時のはざまの記録」として出版され、左のページにアンナの歩数、右のページにソフィアの歩数が並ぶだけの単純な本でありながら、当時として驚異的な、メガロングベストセラーと言っていい売れ方をしたのは、この本を枕の下に入れて眠ると、「時のはざま」で未来の伴侶と巡り合えるという奇妙な、ソフィアとアンナの二人とはまるで無関係な噂が立ったからであるといううがった、多少意地悪な見方をする人もいるのですけれど、実のところ、人々が常日頃うすうす気づいてはいながら、どうしても尻尾をつかむことのできなかった「時のはざま」の生き生きとした姿が、その数字の列から浮かびあがって人々を魅了したからだと言っていいでしょう。

たった1日の長い散歩で時のはざまを発見したあなたとA子ちゃんは、ひょっとすると現代のソフィアとアンナになれる二人組かもしれません。あなたにとって大切なことは、ほすうけいとまんぽけいの違いについて考えることや、A子ちゃんの歩き方をじっと観察することではなくて、今度いつ、長~い散歩ができるかなと楽しみにすることでしょう。

ソフィアとアンナ、二人の記録が長く続いた学者たちの論争を終わらせたのは、「時」を共にした二人の少女たちの歩数にずれが生ずるメカニズムについての解明がなされたからではなく、二人の友情のあまりにも単純な美しさのためでした。二人は最後まで自国のことばで歩数を数えるのを止めず、秋になってソフィアがフランスに戻る時、ソフィアが言うことのできたオランダ語はTot morgen! アンナが言えたフランス語はA demain! つまり「また明日ね!」ということばだけでした。
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by atohchie | 2003-04-01 00:31 | 缶詰製作中(書斎より)

架空・お悩み相談室54『トイレットと一体になってしまいました』

【お悩み】
困ってます。疲れて疲れて仕方がないから早く帰りたいのに、その前にとトイレットに座ったら足が地面にくっついて、お尻も便器と一体になって帰れません。私はこのままベルフェゴールにでもなっちゃうんでしようか。(東京都/こけまるさんのお悩み)

【お答え】
ベルフェゴールとは、懐かしい名前を久しぶりに聞きました。
長く思い出しておりませんでした、昔むかしのお付き合いの中で、教えてもらった名前です。
ジュリアン。
彼は天正遣欧使節の中で、一番最後まで生き、そして悲しい最期を遂げられた、高名な神父です。
ジュリアンたち少年使節は、はるばる長い旅ののち、印刷機を持ち帰ったことが広く知られておりますが、実は欧州を発つ時、もうひとつ、あちらの方が持たせて下さろうとしたお土産がありました。
トイレットです。
ご存知のように日本では、深くしゃがみこんで用を足します。
欧州で、腰をかけるかたちのトイレットを使った少年たちは、はじめのうちこそどうにも腹に力が入らぬ、これはいかんと嘆きあっていたものの、一人、また一人とその魅力を知るようになりました。
中でも欧州式トイレットに強く惹かれたのはミゲルでありました。
美少年の誉れ高い彼は、キリシタンでありながら、やや虚栄的な側面をも持ち合わせておりました。
洋服を与えられ、初めて身体に合わせてみた時に、彼は西欧人に比べ、自分たちの脚がはるかに短く、曲がっていることに気づき、他の少年たちは露ほども気にしなかったそのことを、深く遺憾に思ったのです。
彼は持ち前の理知的な観察力であれこれと西欧の生活を研究し、脚をすらりと長く伸ばすには、しゃがまぬことだと見抜きました。
床の生活よりも何よりも、我らの脚を短くするものは、雪隠での姿勢であると彼は仲間の少年たちに熱弁をふるいました。
少年たちは脚を長くしたいという気もちはありませんでしたが、考えても見よ、イエスさまはどこのお人じゃ、イエスさまが雪隠でしゃがんで用を足されたと思うのか、と得意のラテン語でミゲルが語った時、三人の少年は、そうか、と深くうなずいたのです。
ミゲルが欧州式トイレットをわが国に持ち帰りたいと所望し、それが快く受け入れられて荷物の中に加えられようとしたと時を同じくして、仲間たちの部屋へジュリアンが蒼い顔をして入ってまいりました。
わしはトイレットを国へ持ち帰ることに反対じゃ。
なぜ?と驚く三人に、ジュリアンは顔面蒼白のまま、恐ろしい物語をかたりました。
皆には話しておらなんだが、わしはこちらへ来てからというもの、疲れがとれん。
皆が法皇様に拝謁かなったとき、わしは寝込んでおって悔しい思いをした。
あれから同じ思いをするまいと我慢を重ねてきたが、本当はもう、限界じゃと思うとる。
国へ帰れるのが正直、嬉しい。
何をいきなり……と訊ねかけるマンショをさえぎって、ジュリアンは三人の顔を順繰りに見ながら訊ねました。
お前らは、トイレットに座った途端、うつらうつらと舟を漕いでしまってはおらんか?
不意を突かれた三人の戸惑いの顔と、わずかな沈黙が、その答えを明白に表しておりました。
トイレットで力をぬくと、ベルフェゴールにされてしまうのじゃと、お前らはそのことを知っておったか。
何かに押しつぶされたようなおかしな声で、ジュリアンは言いました。
べ……ベルフェゴール……?
ミゲルが震える声で言いました。
悪魔じゃ。
ジュリアンの声は、ききとれぬほど小さかったのに、恐ろしくはっきりと、三人の耳に響き渡り、三人は身の縮む思いでそっと顔を見合わせました。どの顔も怯え、汗を浮かべています。
わしは、今、トイレットでつい眠ってしもうた間に体がトイレットと一体になり、心が悪魔にひきずられるのをはっきりと感じた。
ジュリアンは眼に涙を浮かべ、小さなロザリオをかざして言いました。
イエスさまが助けてくださったのじゃ。
悪魔にひきずられまいとして、わしがロザリオを握り、力の限り祈っておると、イエスさまがこの耳におっしゃった。
国へトイレットを持ち帰ってはならぬ。
雪隠は、汝の国の宝なるぞ。
ジュリアンはそれだけやっと口にすると、あとはただただ涙を流し、小さな声で祈りの言葉をつぶやくのです。
三人の少年たちも、恐ろしさとありがたさに打たれ、それぞれにロザリオを握ると、トイレットを持ち帰ることはいたしません、我らが生涯にわたり、そして子々孫々までも、きっと我が国の民は、雪隠にしゃがんで用をたすでありましょう、とイエスさまに誓いました。

トイレットで脱力してはなりません。
天正以来ひそかに伝えられた、これが真実の教えです。

あなたさまのお尻と足につきましては、懐かしい友の名を思い出させてくださったお礼として、わたくしがジュリアンその人にお願いをし、ベルフェゴールの魔の手からすくっていただきましたことを、ここに謹んで申し上げます。
しかし、これからは決して、トイレで脱力なさいませんよう。
わたくしもそうたびたびは、ジュリアンの力を借りることははばかられますゆえ。
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by atohchie | 2003-04-01 00:24 | 缶詰製作中(書斎より)

架空・お悩み相談室53『目が充血するんです』

【お悩み】
12月中旬ごろから、両目がごろごろしていました。
目玉が勝手にごろごろしているからなのでしょうか。
そして、年末、右目が充血し、今、右目の下の瞼のふちまで赤くなってきました。
白目の充血はひいたようなのですが、瞼の裏は真っ赤です。
両目を使っているのになぜ右目だけ充血するのかが不思議なんです。
このまま、目から頭まで充血すると頭も赤くなっちゃうんでしょうか。
心配です。 (神奈川・ハンサムさんのお悩み)

【お答え】
まずはじめに、お詫びを申し上げねばなりません。
お悩みのご相談をいただいたのは年の初め、ですのに
もはや季節は、梅雨入りにむけて一直線。
なんとしたことか、と申しますと、
実は、この大切なお悩みにお答えするため、
ワタクシ、みちのくへの旅を重ねてまいりました。

「目は心の窓」と申します。
決して、「頭の窓」ではございません。
両の眼は、人の心をのぞかせる、小さくて広い、奥の深い窓であります。
しかし、短絡的に考えてはなりません。
目が赤い、すなわち心が赤いのか?
いいえ、違います。
そんな単純なことでしたら、みちのくの女神さまはこの世に存在しておりません。
白内障にかかった方々が皆、心の濁った方であるはずはありません。
目という窓から、人の心を知るには、その道にたけた方々が必要なのです。

そうです。
みちのくの女神さまにお目にかかってまいりました。
「女神」と言い慣わされてはおりますが、
本当は、みちのくの女神は「目が見」さまであります。
古くは「まなこがみ」と言われておりました。

目が見さまとのおめもじを求め、
年明けより山形へ、福島へ、宮城へ、岩手へと遍歴を重ね
とうとうお会いできた目が見さまは、ちょうど
遠野のおしらさまを訪ね、ご歓談の真っ最中でした。

おしらさまのお許しもいただいて、
ようやく目が見さまの前にしずしずと進みいで、
お悩みの内容をご相談いたしますと、
目が見さまはそそそとお笑いになりました。
「何を心配して居るのか。
頭の中はそもそも赤いのじゃ。
赤くなければ、そなたはとっくに生きておらぬ」
おしらさまもるるるとお笑いになり
「案じることはないと、伝えておやんなさい」と
おっしゃいましたことを
謹んで、ご報告申し上げます。

その後、お目の調子、いかがでしょうか?
(2012.6.6)

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by atohchie | 2003-04-01 00:16 | 缶詰製作中(書斎より)

架空・お悩み相談室52『老後の悩みなんですが』

【お悩み】
老後の悩みなんですが、
夫がいつも一緒にいようねっ!と言っているのです……
私は顔では笑って「うん」と言っていますが
心の中では「うんざり~~~」と思ってしまいます。
こんな私にアドバイスを下さい。(神奈川県/赤いりんごさんのお悩み)

【お答え】
「うんざり」とはどういう意味でしょう。辞書を引くと、「げんなり」と同じ意味であると書かれているのみで詳しいことは述べられておりませんが、「うんざり」は、実は、古くは「うんぞあり」と言われておりました。「うん」とは、もちろん「運」です。幸運です。「運ぞ在り」。「うんざり」とは、本来「幸運がまさにある」という意味なのです。
「げんなり」の方はどうでしょう。げんとは、「験」です。縁起であり、やはり幸運です。「験也」。つまり、「幸運だ」ということ。「げんなり」と「うんざり」、なるほど瓜二つです。

かつて人の暮らしに、何かが「豊富にありすぎる」という状況は、訪れるものではありませんでした。豊作や豊漁はあっても、たいていは皆がたらふく食べるに足りるというだけのこと、大きな余剰が出るほどのことは滅多になく、豊作の後には不作、豊漁のあとには不漁に備えることは人々の知恵として受け継がれておりましたから、「ありすぎて困る」などという考えは、浮かんでくるはずもないことだったのです。「たくさんある」こと即ち「幸運」であり、「験」であると考えられたのは、自然なことですね。

この相談室も回を重ね、私もずいぶんといろんなことを学んでまいりました。近頃はお悩みが深刻であればある程、「あなたの心の声に耳をすませましょう」と申し上げることにしております。どんなに難しいお悩みも、必ずやその方ご自身の心の声の中に答えが見出されることはまことに驚くばかりです。

「うんざり~~~」という叫びで、あなたの心が本当は何を言いたかったのか、あなたの本当の望みは何なのか、どうか今一度、じっと耳をすませてみてください。
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by atohchie | 2002-04-01 23:24 | 缶詰製作中(書斎より)

架空・お悩み相談室50『小さな悩みが3つあります』

【お悩み】
突然ですが小さな悩みを3つばかり相談させてください。
(1)うま、うみ、うむ、うめ、と全て意味があるんですが「うも」という言葉には何か意味があるんでしょうか。
(2)最近人混みを歩いていて人と衝突することが増えたのですが、これはこちらが退化しているのか、衝突を避けない人が増えているのか、どちらだと思いますか?
(3)先日転倒して尾てい骨を強打したのをきっかけに馬の尾のような尻尾が生えてきたのですが、このまま生やし続けるのと、手術などで取り去るのとどちらがいいでしょうか?
いずれも取るに足らないささやかな悩みばかりなのでまとめて送ってしまいますが、お時間のある時にでも相談に乗っていただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。(東京都/たかしなさんのお悩み)

【回答】
(1)「うも」は「芋」の古語です。「うも」が「いも」に変わったのは、「いも」がさびしがり屋だからです。かつて女というものは、「妹」「姉」「妻」「恋人」「愛人」、すべてが「いも」でした。しかしいつの間にか、そんなにも多くの女を自分の物にしていた「いも」は、「同じ親を持つ年下の女」しか扱えなくなりました。それも「うと」の助けをかりてです。「いも」は寂しかったので、「うも」から「芋」を奪ったのです。「いも」はそれですっかり、寂しくなくなったのです。女というものはたいてい「芋」が大好きだからです。いっぽう「うも」はどうしたかって?「うも」ははじめから孤独に強い性質だったので、千年の孤独に耐え、今も独り身を通しています。それでもたまに、万葉集なんか読んでくれる人がいると、恥じらいつつも微笑みを浮かべてみせるのです。

(2)これはあなたの進化であろうと思います。羨ましいことです。私は人ごみを歩いても人に衝突しません。あなたは都会に住むあらゆる人々を抱擁するべきです。あなたに向かって突進してくるその人は、あなたの祝福を求めているのです。どうぞしっかりと背中を抱き、「よくできました」とか、「確かにあなたはここにいるよ」とか、「地球を回すものは愛ですからね」など、その人の求めることばをかけてあげてください。

(3)この問題については古くから多くの論争がなされ、いまだ決着がついておりませんが、望んでも生えてくるものではない馬の尾を手術で取り去ってしまうのは惜しいと考える人々が多数を占めているのは確かな事実です。ですから、常識に従うならば、あなたは断然、その尾を伸ばすべきです。しかし、そうした意見を述べる大半の人々の臀部には、馬の尾は生えていないということは、見落とされがちな点です。いったい、馬の尾をもっていない人間が、馬の尾の貴重さを語ることに意味があるでしょうか。馬の尾をふさふさとゆらしながらしかも人間であり続けることの煩雑さが、彼らにわかるのでしょうか。私としましては、世の論調に左右されることなく、日々自らの馬の尾と対峙した上で、ご自分の結論を出されることこそ、望ましいと存じます。その際、どうぞご家族とも話し合われますよう。自らが馬の尾をもつということと、夫が、あるいは父が、息子が馬の尾を生やしているということは、全く違う意味を持っています。あなたの尾は、決してあなただけの尾ではないことをどうぞ忘れずに。あなたが存分に熟考され、悔いのない方法を選びとられますことを、祈ってやみません。
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by atohchie | 2002-04-01 23:22 | 缶詰製作中(書斎より)

架空・お悩み相談室44『浮気をする男が悪いのか、疑い深い女が悪いのか』

【お悩み】
ニュースでカレログというスマホのアプリが問題になっていると言ってました。浮気をする男が悪いのか、疑い深い女が悪いのか。そこらへんを、深く浅くえぐってお聞かせください。(横浜/bonpapaさんのお悩み)

【回答】
「カレログ」という「スマホ」の「アプリ」についてのお悩みですが、3つとも全く関係ない私、そもそも「カレログ」ってなんだ?と「ググる」とこから始まりまして、知らない人に説明するのもめんどくさい。私の結論は、「浮気をする男が悪い」でも、「疑い深い女が悪い」でもございません。商品名がそうだからといって女が男に仕掛ける必要もありませんし、男と女の問題にかかわると考える必然性もありません。もしも、ある二人の仲に何か問題があるとするならばそれは「スマホ」の「アプリ」とは何の関係もありませんし私たちにも関係ありません。およそ世の二人組というものはすべからく似合いの二人であります。そんなことより私には、「スマホ」のほうが問題なのであります。「スマホ」とは「スマートフォン」の略ですよね。「スマートホン」ではなく「スマートフォン」。それを略してなぜ「スマホ」。いやしくも言語社会学を専攻した私でありますから、「スマフォ」と言うべきだ、「スマートホン」と言うべきだという主張をする意図は毛頭ありません。現代日本語のひとつの興味深き現象として、ただこのあり様を見つめるのみであります。そして関西人だからでしょうか、「スマホ」ということば、見た目にも響きにも「アホ」のにおいを感じ取るのであります。「賢い電話」が「アホ」に転じるこの不思議、日本語の未来に向けて、一つの小さな道しるべとなっているのではないでしょうか。
ところでbonpapaさんご自身が、「カレログ」を仕掛けられ、二人組の一員としての具体的お悩みを抱えていらっしゃる場合は、その旨あらためてご相談ください。どちらが悪いかずばり判定して差し上げます。
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by atohchie | 2002-04-01 19:42 | 缶詰製作中(書斎より)

架空・お悩み相談室18「ドライ宇宙を戻さず食べたい」

【お悩み】
本当に心が落ち着かなくて困っています。慎重にしているつもりでも不用意な発言をして冷や汗をかいたりもします。そんな中でテレビを見たりラジオを聞いたりネットニュースを見たりTwitterのタイムラインを追いかけたりしているときに気になる記事を読みました。「ドライ宇宙」というものがあるそうなのですが、ご存じですか?
http://twitter.com/#!/search/140SFP

水で戻すと天体観測できたり、おやつにもできる、とあるんですが、ドライフルーツ好きのぼくとしてはドライなままで食べたいです。ドライ宇宙をドライなまま食べる方法はあるでしょうか?(東京都/たかしなさんのお悩み)

【回答】
ドライ宇宙については、恥ずかしながら私も初耳でございました。しかし持つべきものは友、ドライ物のことならなんでも聞いてくれと普段から豪語している神奈川県小田原市の星田卓さんに連絡してみましたら、すぐにお答えがかえってまいりましたので、そのまま掲載させていただきます。

星田さんのお答え「え、ドライ宇宙をそのまま? いやぁ、確かに食って食えないことないけどね、どうかなその人、普段からひじきとか乾燥ワカメ、そのまま食ってる人?ああ、ドライフルーツだけなの。だと厳しいかもね。これちょっと専門的になっちゃうけど、乾物って干してどんだけ縮んでるかってのが食品によってさまざまなのね。乾燥ワカメ味噌汁に入れて、味噌汁っていうよりワカメの味噌煮になっちゃってびっくりしたことない?ドライ宇宙ってのは、そのワカメですら問題にならないくらいの半端ない膨張率なわけ。下手に食べるとおなかの中の水分全部すって、パンパンになってそれでも膨らもうとして、大変なことになっちゃうのさ。でも俺の場合はそりゃ、食べるよ。プロだからね。その人にはあんまりお勧めしたくないけど、そうだなあ、どうしてもって言うなら、5mm四方くらいを、あらかじめ割っておいて、一気飲みかな。飲み込む前に水をしっかり飲んでおいてね。あ、ドライ宇宙を水で飲み込むのはダメだよ。ドライ宇宙が食道の途中で膨らみだしたら、急いで救急車呼ばないと命に関わるくらいのおおごとになるからね。けど、その人、なんでそのまま食べたいのかね。せっかくの味が全然楽しめないし、そりゃあうまく星のとこをかじれれば体は光るけど。俺も結構体験あってそりゃ楽しいけど、ドライのまま食って星に当たる確率、低いよ。それより戻して食べたら旨いんだから。めったに手に入るもんじゃないんだし、戻したほうが絶対おすすめってこと、阿藤さん、伝えてあげてくださいよ。」
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by atohchie | 2001-04-01 18:28 | 缶詰製作中(書斎より)


阿藤智恵の「気分は缶詰」日記/劇作家・演出家・翻訳家(執筆中は自主的に「缶詰」になります)=阿藤智恵の日記です。


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